もったいない退職があった時。いかりや長介さんの言葉より ~自分の痛みに鈍感になると、人の痛みに鈍感になる~
「自分の痛みに鈍感になると、人の痛みにも鈍感になる」
自己理解を深めていくと、このような言葉に出逢います。
最高「いぶし銀」の(私的感覚です(*‘∀‘))いかりや長介さんがおっしゃっていた話です。(以下)
「強くなることはないです。
弱い自分に苦しむことが大事なことなんです。
人間は元々弱い生き物なんです。
それなのに、心の苦しみから逃れようとして、強くなろうとする。
強くなるということは、鈍くなるということにもなる。
痛みに鈍感になるということ。
自分の痛みに鈍感になると、人の痛みにも鈍感になる。
自分が強いと錯覚した人間は他人を攻撃する。
痛みに鈍感になり、優しさを失う。
いいんですよ、弱いまんまで。
自分の弱さと向き合い、それを大事になさい。
人間は弱いままでいいんです。
弱い者が手を取り合い生きていく社会こそが素晴らしい。」
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大多数の人は、条件反射で相対比較をします。
そのような教育を受けてきていますし、まだまだそのような社会です。
優れている/劣っている、できる/できない、損/得…というような評価
そんなジャッジメントで人間力は測れるものではありません。
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ジャッジの基準なんて、
その時の立場、条件、状況、時代、文化などによって、コロッと変わるのです。
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弊社心の力の人間力研修は、
自分の「痛み」に向き合います。
この「痛み」を感じる時、
なぜか私たち人間は「弱さ」のようなジャッジをしてしまう。
だから向き合いたくない、感じたくない。
ですが、「痛み」は弱さではありません。
そして、この世に生まれて今までに、全員が「痛み」を感じています。
しかし、自分の中にある「痛み」・「弱さ」を排除しようとすれば、
人に投影して、結果的に人をジャッジし、排除するのです。
これが自分でも気づかない条件反射でおこります。
その排除は、具体的にどのような言動・態度に現れるかというと、
・相手の話を聴けない(自分では聴いているつもりだが、相手は聴いてもらえた感が無い。)
・自分の考え方を曲げない、常に自分が正しい
・人の指摘をする、悪く言う(言わなくても思っている)
・人を悪く言いたくなければ話さない(思考停止、シャッターおりてます)
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まさに自分の「痛み」に向き合わないとこうなります。
そして、これは人間の脳の仕組みですから、誰のせいでもない。
しかし、このような言動がスタッフ、特に管理職に見られたら、
だれかのもったいない退職につながります。
だから、
少しづつ、自分の「痛み」に向き合い、
ゆるし、
受容する。
そんな研修の場をとってみませんか。
今はまだ、学校教育では手を付けられない分野ですから。
なぜか、
自分の痛みと向き合い、自分をゆるせた人は、
相手に「安心」を与えています。
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いかりや長さんの言葉、
「自分の弱さと向き合い、それを大事になさい。
人間は弱いままでいいんです。
弱い者が手を取り合い生きていく社会こそが素晴らしい。」
ここに少し補足したいと思います。
この物質世界は、対称性で成り立っています。
表があれば、必ず裏がある。
「弱さ」があれば、必ず「強さ」がある。
弱さと向き合えば、その裏には強さが備わると感じています。
ここでいう強さとは、相対比較して目で見てジャッジするような強さではなく、
周りを包み込むような海のような強さ。
それが、
「弱さと向き合う者が手を取り合い生きていく真の強さの社会」
そんな組織創りのお手伝いをできましたら幸いです。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。